関東地方で盛んに行われていた里神楽(民間で行われる神楽の総称)の一つで、石岡市染谷の「佐志能神社」で毎年4月19日に開かれる例祭で奉納されます。
楽器は大太鼓・小太鼓・笛・鼓・鈴を使用し、演者は扮装(きら)をこらし、巫女の舞以外は面をかぶり、無言の所作で表現します。
四百年の歴史をもつと伝えられ、現存する数少ない「里神楽」のひとつとして、市指定有形民俗文化財となっています。
染谷十二座神楽には文献資料などが残っていないため、正確な歴史は分かりません。
また、「石岡の歴史」(昭59年刊)でも「その起源については、三、四百年前からつづけられているといわれる・・・」としています。近年の論文(中村:平19年)を引用しご案内します。
『石岡市には、三カ所に十二座神楽の伝承をみることができます。
染谷佐志能神社十二座神楽、根小屋七代天神社十二座神楽、そして柿岡八幡神社太々神楽です。(中略)染谷と根小屋に伝承されている十二座神楽は、様々な伝承がある根小屋から染谷へ伝播したであろうと推測されます。・・・三ヶ所の十二座神楽は、埼玉県鷲宮神社の土師一流催馬楽(はじいつりゅうさいばら)神楽が、宝永五年(1708)に十二段編成される以前に伝播したと考えられます。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)二神の演目がないこと、一神一座編成を中心としていることなど・・・・・・・(略)』
中村論文では、その起源は西暦1680年以前ころまで遡ることが可能であろうとしています。つまり、その後の変遷はあるものの、染谷十二座神楽は約340年以前よりこの地に伝播し、踊り継がれているものということになります。
染谷十二座神楽には地元の人たちを中心とした保存会があります。戦中・戦後に一時中断しましたが、昭和30年代の半ばには、地元有志により保存会が再結成されました。
毎年4月には佐志能神社奉納を盛大に行ってきましたが、年月の経過とともに会員の高齢化が進行し、演じられる演目も少しずつ減ってきました。
伝統芸能の存続に危機感を抱いた地元と会員は、「石岡囃子連合保存会染谷囃子連」の協力を得て、会員の増加を図るとともに、全ての演目の再現と伝承に取り組んでいます。
佐志能神社
佐志能神社は、龍神山中腹に染谷佐志能神社と村上佐志能神社の二社があり、ともに龍神(雨の神)をまつっています。
染谷が高オカミノ神(雌龍)、村上が闇オカミノ神(雄龍)で、二社とも創建年代は明らかになっていませんが、農耕に不可欠な「雨の神」をまつることもあって古くから付近の村人たちの信仰を集めました。
本殿左手の屏風岩には、「風神の穴」と呼ばれる穴があります。この穴に指を入れると、雷鳴がなるまで抜けなくなってしまい、夏になるとここから黒雲がまき起こって雷神が現れ、雨を降らせるという伝説があります。神楽の演目は十二座あり、以下の順に第一座から第十二座まで、約2時間かけて行います。
第一座:猿田彦の舞
つゆ祓いの舞で、猿田彦尊(さるたひこのかみ)が槍をかざして厄や悪人を追い払います。
第二座:矢大臣
矢大臣尊(やだいじんのかみ)が弓矢で鬼を追い、四方の厄を祓います。
第三座:長刀つかい
右大臣尊(うだいじんのかみ)の「長刀(なぎなた)の舞」とも、「カラス天狗の舞」ともいわれます。
第四座:剣の舞
左大臣尊(さだいじんのかみ)が剣(つるぎ)を使い、四方の厄を祓います。
第五座:豆まき
神が田畑に豆をまき、祭りを祝います。肥料をまいているともいわれます。
第六座:狐の田うない
雄狐・雌狐が仲良く、あるいは競い合って、田をユーモラスに耕す舞です。
第七座:種まき
田うないの終わった田に、神が種をまきます。鈴は種を表現するとともに浄めの行為です。
第八座:巫女の舞
巫女(みこ)が鈴と榊を持ち、神々が降り立つ田の汚れを浄めます。舞手は小学生です。
第九座:鬼の餅まき
収穫への感謝を表現します。見物人に餅をまき、共に喜びを分かち合います。
第十座:みきの舞
二人の神が神酒(みき)を捧げて、祈りと感謝を表現する舞です。
第十一座:えびすの舞
おかめとえびすで賑やかに鯛釣りをします。祝い・喜びを表現する舞です。
第十二座:天の岩戸
天照大神を引き出し、世の中の平穏・五穀豊穣を祝います。天手力雄神(あまのたじからおのみこと)が岩を引き剥がします。(岩はがしの舞ともいわれます)
住所 | 〒315-0048 石岡市染谷1857-2 |